Uncle Derek’s Spiritual Third Eye Tour
なんでこうなる??ふしぎなDerekとKeikoのハワイアンストーリー
仕事はしてきたけれど、いたってフツーの49歳、だった・・・
私の出身は兵庫県芦屋市。芦屋というだけで「へぇ~、お嬢様なんだ~」という訳のわからない反応がかえって来るのが嫌で、いつからか「ご出身はどちら?」と尋ねられたら、「神戸です。」と答えるようになった。六甲山と海の景色が素敵で、異国情緒溢れ、モダンでお洒落で、女性が綺麗な神戸は、今も私の大好きな町のひとつである。中学・高校・大学と10年間女子校に通い、それなりに勉強に励み、4歳から父がやらせてくれたスキーをこよなく愛し、暖かい家庭に恵まれた青春時代。中学時代から付き合っていた、かっこいいフットボール選手の彼もいた。大学になってその彼との間になんとなく微妙な不協和音が流れ始めたこともあり、少し距離をおくために、神戸YMCA主催「夏休み45日間アメリカホームステイ研修旅行」に参加した。研修旅行の最初に訪れた土地コロラドで、京都から参加していた一歳年上の現在の夫と仲良くなり、研修旅行の最後の土地ハワイで、それぞれ日本で待っているはずの「彼」「彼女」にキッパリ別れを告げることをお互いに約束した。帰国後、京都と芦屋の距離をものともせず、毎日のようにデートを重ね、大学卒業後すぐに結婚した。
夫の実家の商売は義父が創業した美容商社。結婚前から美容インストラクターになるための研修を受け、結婚後すぐに入社した。独身時代から化粧品オタクで、友達と化粧品店の口紅テスターを片っ端から試し、おかげで唇が腫れ上がる、な~んてお馬鹿なことばかりやっていた。そんな私をよく知る人たちからは、美容の仕事はあなたの天職だ、などと言われた。自分でも仕事は楽しかったし、娘と息子の子育ての何年間かは休職したが、それ以外はずっと仕事に没頭してきた。50歳を目前に、少し自分の仕事に対する思いが変化してきた。美容商社というと、研修はどうしても取引メーカー主導のものが多い。「販売」を目的とした外面的な美を追求する技術や知識だけではなく、美容を内面からとらえるアカデミックな勉強がしたいと思い始めていた。明確ではないが、自分の生き方を少し変えたいという欲求もあったのかもしれない。「人は意識すると、求めているものに出会う」というが、まったくそのとおり!!ある日、夫が得意先から紹介されたという、ある海外の大学の「美容医学科」のパンフレットを持ち帰った。そのカリキュラムを一目見た私は、即座に「入学する!」と叫んだ。通信制で日本語で学ぶことができるシステムだったので、まじめにレポートに取り組み、せっせと東京までスクーリングに通った。乾いた土に水が浸み込むがごとく、知的欲求を満たすぞとばかり意欲的に勉強し、卒業した。学んだことを得意先の美容師さんやエステティシャンに伝えるセミナーも始めた。二ヶ月に一回のペースで三時間というセミナーだったが、無料であったことが功を奏したのか、毎回50名近くの受講生が来てくれた。人にうまく情報を伝えるためには、提供する側には相当の努力が必要とされる。さらなる勉強を続けていくうちに、興味はさらにいろんな分野へと広がり、たくさんの素晴らしい先生方とめぐり合うことが出来た。
美容を原点とした勉強のスタートだったが、私の興味の対象はしだいに「美しい生き方」あるいは「人生の意味・目的」といった方向にシフトしていった。自分で開催するセミナーも「予防美学」と名づけるようになった。素晴らしい先生方のなかでも、私がとびっきり尊敬してやまないS先生が、「予防美学」の定義をつくってくださった。「身体と精神という二元的な考え方を越えた感性を磨き、自分だけの答にしたがって、自分だけの人生を美しく凜と生き抜くこと」・・・まさに私自身が求める生き方そのものを表現した言葉だった。S先生は30年以上、救命救急医として活躍してこられた医学博士。でも、思うところあって、大学の教授を定年まで何年も残して辞め、地方病院長、行政、代替医療などの仕事をされてきた少し変わり者?の先生。WHOの健康の定義である「肉体的・精神的・社会的な健康」に「霊的な健康」を付け加えることが審議されている。生と死の壮絶な戦いの現場で仕事をしてきた救命救急医だからこそ、「命の尊厳や意味」について深いお考えをもたれたのだろうか。「人を肉体としてだけではなく、こころやたましいの存在
をも認めるならば、脳死という言葉はありえない。」と言い切る先生だ。今世だけではない永遠のたましいの存在を信じることによって、はじめて人生の使命、目的を理解できるのではないか、ということを私はS先生から教えていただいた。
神戸が大好きな私は、外国に憧れ、自分が果たせなかった留学の夢を子供たちに託した。変に素直な娘と息子は、私の意見に反抗することもなく、あるいは過酷な日本の大学受験に勝ち目がないと見たのか、それぞれ高校卒業後、アメリカの大学に留学した。しかし、現実は厳しく、言葉の壁・文化の違い・孤独感に打ちのめされた子供たちは、二人とも挫折しかけて、途中、半年間休学して日本に帰ってきた。半年間の日本での休息でようやく元気を取り戻し、もう一度がんばろうと決意し、自分たちで新しい挑戦の場を選び、卒業めざして大学生活に戻っていった。そこで不思議なことに気づいた。娘が新たに選んだ土地はコロラド。息子が選んだのはハワイ。・・・そう!夫と結婚する羽目?になった研修旅行の始まりの土地コロラドと、終わりの土地ハワイ!とても不思議な偶然の一致を感じた。とくに、息子のほうはなかなか挫折から立ち直れず、もうこのまま大学に戻らないのではないかと、留学を薦めた母親としては苦悩の日々を過ごしていた。そんなある日、朝、ベッドでうとうとしていたら、突然どこからともなく女性の声で「ハワイ・・・」と囁く声が聞こえた。最初は空耳かと思っていたが、あまりにはっきりと聞こえたので考え込んだ。そして閃いた。「そっか!息子はハワイならうまくやっていけるかも・・・」。予想は的中し、息子はハワイへ旅立っていった。
息子が「天の声」にしたがってハワイの大学を選んだこと。これが、さらに私の人生も大きく変えることになった。「天の声」にはしたがったものの、はたして息子はハワイで元気にやっているのだろうかと気になった私は、休みをとって息子のところに行くことにした。息子が住んでいるのは、ハワイ島のヒロ。夫と知り合った研修旅行以来、ハワイには行くチャンスはなかった。この際だからゆっくり楽しんで来ようと計画を練っていたら、ふとあることを思い出した。ホノルルにすごくパワフルなヒーラーがいたはず、と。その話をしておられた方からいろいろ情報をえて、そのヒーラーの連絡先を知ることが出来た。どんな人かも知らないくせに、行動力だけが取り柄の私は、とにかく電話をしてみた。応答したのは、なんとパワフルなヒーラー、Uncle Derekその人!彼はファックスもメールもせず、本人が直接出る携帯電話のみがコミュニケーションツールであるというスタイルは今も同じ。ヒーラーっていうからもっとミステリアスかと思っていたのに、いきなり本人と話すことになってビックリ。どぎまぎしながら「あなたのヒーリングを受けたいのですが・・・」というと、「何が体験したいのか?」と返って来た。開き直って「とにかくあなたが私に必要と思うことすべてを体験したい」とやけくそで答えた。すると、「オッケー!じゃあ、四時間ほど時間をくれる?」と言うので、「私はハワイ島のヒロにいる息子に会いに行く前に、ホノルルに一泊するので、何時間でもかまわない」と答えた。ホノルルに着く日とおおよその時間を伝え、ホテルにチェックインしたら連絡すると言って電話を切った。久しぶりの慣れないイングリッシュカンバセーションで大汗をかいていた。
2005年11月、28年ぶりのホノルル空港に着いた。南の島、ハワイは一人で降り立った私を優しい空気で包んでくれた。なんともいえず懐かしい思いに浸った。一人なのになんの不安も感じない。入国審査を終え、荷物を受け取って外に出た。タクシーでホテルに向かおうと思ったが、とにかく着いたことだけはUncle Derekに伝えようと公衆電話を探した。ドルに換金してきたものの、うっかりコインは準備していなくて、自動両替機で25セントに替えてから、公衆電話のところに戻った。日本からかけているわけじゃないから、いったい電話番号のどの数字から押せばいいんだろう?かけ方がわからず、何度もやり直した。やっとの思いでつながり、呼び出し音が何回か鳴って、「ハロー」と言ったのと同時。大きな手が私の肩をポンと叩いた。振り返ると、「アー ユー Keiko?」・・・!まるでハワイ出身のお相撲さんのようなデカイ体のUncle Derekがそこにいた。小柄な私の3倍くらいはありそうな体と、短パンからのぞく私のウエストと変わらないくらいの太さのふくらはぎ、分厚い唇、でもあたたかくて優しいまなざし。引き寄せられるように握手をしたその瞬間、私の手を握ったUncle Derekが「なんて強いエネルギーをもった手をしてるんだ!」と言ったのには驚いた。すごいヒーラーに自分の手を褒められるなんて・・・。そして私自身はなんの根拠もないのに、「私、この人、ずっとずっと前から知ってる」と確信した。着く時間を伝えていたので、わざわざ空港まで迎えに来てくれていたのだった。そのまま車でUncle Derekの部屋に行き、1時間のロミロミマッサージを受けた。左の股関節に軽い痛みがあることを、何も言わなくても彼はわかったようで、そこを押さえながら「痛いか?」と尋ねた。「痛い」と答えたら、黒い細長い石を使って、足裏のある一箇所に強く刺激を加え始めた。あまりの痛さにうめいていると、「イタギモ?(痛いけど気持ちがいいか?という意味)」という中途半端な日本語でまた尋ねる。痛すぎて声が出ないのに、なにが「イタギモ」だと腹立たしい気分になっていると、突然刺激するのを止めて、左の股関節を指差し、「もう痛くないだろう?」と言うので、触ってみると、なんと不思議なことにすっかり痛みがなくなっている!痛い部分には触れていないのに、足裏のある部分を刺激することで、その痛みが消えたのだ。こんな具合に1時間のロミロミマッサージが進んでいった。でも、後半はうとうと眠りがでるくらいの心地よさ。頭の先からつま先、顔まで、全身を網羅するマッサージに感動。終わってボーっとしていると今度はホットストーン。御影石のような黒くて丸くて平らな石を適温に温め、顔をマッサージ。顔や頭の緊張がいっぺんに緩み、目のまわりの皺がアイロンをかけたようにのびる気がした。長い飛行機の旅の疲れで眠気が一気に襲ってくる。途中から意識なし・・・。
マッサージ、ホットストーンが終わると今度は私を車に再び乗せてどこかに向かう様子。話を聞くと、これから「スピリチュアルクレンジング」なるものをしに行くらしい。ホノルル空港から程近いアイエア地区はUncle Derekが育った土地。かの有名な真珠湾を見下ろしながら、その地区の小高い丘を上っていくと、突き当たりに静かな公園がある。そこになんとも不思議で清らかな空間、「ケアイヴァ・ヘイアウ」と呼ばれる寺院跡がある。ハワイの島々のあちこちに点在する「ヘイアウ」の中でも、ここは病院として癒しの場でもあった寺院跡で、おだやかですべてを包み込み、浄化するような雰囲気がただよっている。溶岩で囲まれたサークルの聖域のまわりにはティートゥリーやグアバなどの薬草が育ち、外周に生い茂る樹木も、この聖域を守るように生えている。なんとも厳かな空間だった。Uncle Derekに案内され、私は溶岩で囲まれたサークルの入り口に立った。その中に足を踏み入れる前に、必ずそこに棲んでいるスピリットに許しを得てから入るようにと注意され、私は合掌して心のなかで「入ってもいいですか?」と尋ねた。「いいよ」と背中を押されるような感じでサークルの中に足を一歩進めたとき、そこに「気のベール」のようなものがあり、まるで暖簾をくぐったような感じがした。Uncle Derekがその場で摘み取ったティートゥリーの葉と聖なる水で、私の頭から背中、そして全身を清めた。その途端、今までに経験したことのないような、感情の失禁といってもいいほどの大波に襲われた私は、号泣しはじめた。悲しいわけでもないのに、嗚咽があとからあとからこみ上げてくる。声を押し殺すどころではなく、49歳の私が子供のように声をあげて大泣きしていた。Uncle Derekが私に、しばらく落ち着くまで地面に寝転んでいるようにと言った。30分以上その状態が続いただろうか?しばらくして私の横に来た彼は、「見てごらん。空は晴れているのに細かなスプリンクルが降っているだろう?これはね、Keikoがここに戻ってきたことを神様が祝福しているんだよ。」と言った。たしかに眩しい南国の太陽が照っているのに、私の上空にだけ細かい霧のような雨が降っていた。それを見て、私は有難さと懐かしさで、また号泣した。
スピリチュアル?だって感じるんだから仕方ない・・・
古来よりハワイでは大きな宇宙的なエネルギーのことを「マナ」とよぶ。地球上で、あらゆる生き物は破壊と創造を繰り返
して次の形へと移り変わる。しかし、どのように形が変わろうとも、永遠不滅に生命根源のエネルギーとして存在する霊的なエネルギーが「マナ」であり、この宇宙の全てはこの創造性のエネルギーである「マナ」で充たされているとされて来た。ハ
ワイアンにとって全ての自然は神様の姿であり、目に見える全てのものの中に神様を見つけることが出来た。これは昔から日本人が持っている、神様に対する考え方とよく似ている。日本人と同じようにハワイアンも、八百万の神々が自分たちの先祖とつながっていると理解していたのだろう。自分たちの先祖の聖霊である神々が、その姿を自由自在に変化させて、あるときは雷となり、またあるときは雨・風・花となって現れるのだと考えた。つまり「マナ」とは、神様から授けられた神聖なエネルギーと言ってもよいだろう。とにかく鮮烈な「マナ体験」をしてしまった私の意識は確実に変化した。
初めてUncle Derekに会ったその日に、それまでの人生で経験してきた衝撃的な出来事の総量をはるかに超える数々の体験をして、なかば放心状態だった私に、彼は「ハワイアンロミロミマッサージを学ぶためにすぐに戻って来い」と言った。そんなにそうそうハワイにばかり来られるわけがない・・・と高をくくっていた。しかし、まるで魔法をかけられたように、それは現実となった。半年後に私はまたホノルル空港に一人降り立った。「ハワイアンロミロミマッサージ」を学ぶために。最低でも10日間は必要といわれた研修期間を、そんなに仕事をあけるわけにはいかないと無理をいって、短期間でつめこみのトレーニングを受けた。普段は明るいハワイアンのUncle Derekが、マッサージのトレーニングになると、まるで別人のように厳しいおじさんに変身する。朝から夜中まで、すべて英語のみのテキストをもとに、半ベソかきながら悪戦苦闘した。少しでも彼の意に沿わない動きをすると、すぐに「No!Keiko!」という怒鳴り声が飛んでくる。それほどまでにUncle Derekにとって「ハワイアンロミロミマッサージ」は神聖なヒーリングの術なのだ。トレーニングの途中で突然、私の手がまったく動かなくなり、悲しくもないのに涙が流れてきた。何が起こったのかワケのわからない私の頭に手をおいて、Uncle Derekは、「ロミロミの神様がね、Keikoがこのヒーリングをすることを許可して下さった合図だよ」と言った。
古来からハワイには、「フナ」という豊かな精神世界の教えがある。「フナ」は私たちが自分自身の内面にある、最も高いレベルの叡智とつながることを可能にする、最も純粋な形の教えである。「フナ」の原理である「七つの原則」を深く理解して利用すると、意識の力を通して「癒し」と「調和」を意図的に引き起こすことが可能であるといわれている。「七つの原則」とは、‘IKE:世界はあなた自身の考える世界観の反映、KALA:そこに限界はなくすべては可能、MĂKIA:エネルギーは注意の向くところへ流れる、MANAWA:この「今」がパワーの瞬間、ALOHA:愛することは共に幸せであること、MANA:全てのパワーは内面から来る、PONO: 有効性が真実の基準、の七つの原理をさす。この文化のなかに、古代ハワイの知識階級を意味する「カフナ」とよばれる人たちの存在があった。「カフナ」とは、建築・気象学・航海術・薬草・治療・マッサージ・祈り・予言など様々な専門分野の達人たちのことで、一般的に「呪術師」とよばれることもあるが、実際には様々な職業のプロの総称のことである。「カフナ」には家系があり、代々職業の秘伝が伝えられた。「カフナ」には「マナ」を見分ける力が必要とされ、古代ハワイの社会で重要な役目を担っていたのだ。たとえば医療専門の「カフナ」は、家族ぐるみで患者と付き合って治療することが多く、家庭医の役割を果たしていた。医療専門の「カフナ」は病気の原因をつきとめると、祈り・儀式・チャント(詩に節をつけて歌うこと)・薬草投与・マッサージなどの治療を行った。また、病気の原因が家庭内の問題にあるときには、「ホオポノポノ」とよばれる家族全体を清める「家族療法」を行い、家族全員の不満を解消する方法をとった。なんとも行き届いたホリスティックで先進的な医療が行われていたものだと感心する。ハワイに外来の様々な文化が持ち込まれ、ハワイの伝統文化が失われていくなかで、「マナ」を自由に操り、超自然的な能力をもつ「カフナ」の行為が禁じられ、「カフナ」を迫害した宣教師たちにより、「カフナ」が質の悪い魔術師のことをさすように誤解された残念な時代もあった。しかし、彼らはそれぞれの職業が崇める神々からの導きを受け、通常の五感を超えたところでの霊的な会話が行える、霊的な能力が通常よりも発達していた、あるいは発達させた人たちである。「カフナ」となる人は通常子供の頃にその素質である「マナ」を見抜かれ、特別な厳しい訓練を受けるのだという。とにかく「カフナ」は、霊的なエネルギーである「マナ」の使い方や、肉体をもたない聖霊との対話の担い手、もしくは指導者として、ハワイアンの生活において偉大な存在だった。
「ハワイアンロミロミマッサージ」は、ヒーリングに関わる「カフナ・ロミロミ(マッサージの達人)」によって伝統的に守られてきた癒しの技術である。「ロミ」というのは、揉む・撫で上げる・圧する・操るなどを意味し、これらの手技を組み合わせて全身をケアする。「ハワイアンロミロミマッサージ」は、「ロミ=優しく揉む」という手技によって、筋肉の緊張や蓄積されたマイナスの感情を解放し、「マナ」が流れやすくなるようにクライアントの身体を調整し、深くリラックスさせることによって身体が治癒の方向に向く状態へと導いていく。Uncle Derekは祖母・父、そして、「ハワイアンロミロミマッサージの女王」と呼ばれているアンティ・マーガレットから厳しく技術を伝授された。神様からの啓示であるその手法は、いかなるときも形は変えられることなく、正しく受け継がれてきたものだ。だから、トレーニング中のUncle Derekはあんなに厳しいのだ。しかし、マッサージを受ける人に対しては、最大の愛をもって接するのが彼のやり方。なぜなら、「神様から授かった才能は人のために使わなければ意味がない」というのが彼の考え方だから。「私が治すのではない。私の手を通して神様のエネルギーが受ける人のこころやからだに伝わるのだ」と彼はいつも言う。また、縁あって知り合った人たちは、たましいの奥深くでつながっている人たちであると言う。彼独特の大きな優しいアロハ・スピリットで、まわりの人たちを包み込むこむことが、彼の生き方そのものだと感じる。
たましいのつながり、としか表現しようがない・・・
つめこみのハワイアンロミロミマッサージ研修を終えたまたその半年後、今度はツアーを企画主催して、またまたホノルルに戻ることになった。28年間疎遠だったハワイに、なんと一年間で三回も戻ることになろうとは、とても信じられなかった。機会あるごとにUncle Derekの話をすると、彼に興味をもつ人がどんどん増えていった。「スピリチュアルクレンジング」とやらを、ぜひ自分も体験してみたいという人たちが次々と出てきた。たくさんの人数になると、きめ細やかな対応がしにくくなるので、このツアーの目的を果たすためには少人数でしか開催できない。毎年「スピリチュアルクレンジングツアー」を開催することになった。
たましいのクレンジングを受けるためには、からだとこころをオープンしておく必要がある。1時間のUncle Derekによる「ロミロミハワイアンマッサージ」、あるいは15分程度のクイックマッサージを受けてから、アイエアの「ケアイヴァ・ヘイアウ」に向かう。日本からは、自宅の水道水と塩を持参してもらう。神聖な場所であるヘイアウでスピリチュアルクレンジングを受ける時に、それぞれの家庭のエネルギーが込められている水と塩をそこに撒くことで、家に帰ってからも家族や先祖に対して良いエネルギーを維持することが出来る。一人ひとり順番に、ヘイアウの入り口で「お許し」を乞うてから、溶岩で囲まれたサークルのなかに足を踏み入れる。観光気分で賑やかだったメンバーが、無口になり、少し緊張した面持ちになる。Uncle Derekがヘイアウの周りに生えているティートゥリーの木から、一人ひとりのエネルギーを感じながら、人数分の葉を摘み取る。そのティートゥリーの葉を、神聖な山の水に特別なピンクの海の塩を溶かせたものに浸し、それで全身を清めていく。Uncle Derekは、大きな手で頭や背中や顔に触れながら、その人のための祈りの言葉を耳元で唱える。時間にすればそんなに長い時間ではない。しかし、その儀式の厳かさと、経験したことのない「何かに包まれて、守られて、暖かい感じ」に圧倒され、特別な時間が流れる。私が初めて体験したときのような醜いほどの号泣ではなくとも、感激で涙する人は多い。儀式が終わったあとは、心をしずめるために、ヘイアウのサークルの中で大地、あるいは溶岩の上に腰を下ろし、しばらく静かに自分と向き合う。自然に、ヘイアウの周りを取り囲むよう生い茂っている樹木に目が向く。すべての木々が神聖なサークルにお辞儀をするような角度で生えていることが不思議。そして、風はまったく吹いていないのに突然、葉が「おいで、おいで」をするかのように軽く揺れる。あるいは、空は晴れて太陽が照りつけているのに、突然細かい雨が降ってくる。自分たちの先祖の聖霊である神々が、その姿を自由自在に変化させて、雨や風になって祝福のために現れてくださるのだろう。
ツアーのもっとも大切な部分である「スピリチュアルクレンジング」を終えると、さらにUncle Derekとの親密度がアップする。彼が一度この場でクレンジングを行った人との間には、永遠のたましいのつながりができると考えているからだろう。とにかくUncle Derekと一緒にいると、暖かい大きなエネルギーに包まれた安心感で、身もこころも緩んでいく。厳かな儀式を行ったり、マッサージをするときのUncle Derekには近寄りがたいほどのオーラを感じるが、それ以外の時は陽気でお茶目なハワイアンのおじさん。しかし、彼の目はいつもメンバーの一人ひとりに注がれている。ちょっとした体調の変化や、こころの変化をけっして見逃すことはない。気がつくとすぐにそばに来てヒーリングが始まる。あるいは、冗談まじりにその人に合わせて、今回のツアーの意味や目的を話してくれる。「自分に与えられた才能は人のために使わないと意味がない」という彼の言葉は、つねに彼の日常生活すべてにおいてともにあるのだ。
ハワイの島々には神聖なエネルギーが宿る場所がたくさんある。Uncle Derekとともにその地を訪れることは、さらなるエネルギーがチャージされるといってよい。オアフ島一周ツアー、ビッグアイランド一周ツアー、etc.どんな内容のツアーであっても、すべてUncle Derek自らが、企画・ガイド・ドライバー、すべてを取り仕切る。ツアーのどの段階においても彼のエネルギーを注ぎ込み、彼自身が納得しないと気がすまないのだろう。Uncle Derekの「Third Eye=第三の目」に導かれたツアーは、こころ踊る嬉しいハプニングに溢れ、このツアーでの体験は、参加するメンバー全員にとって、必要なことが起こるべくして起こる、感動の自分探しの場でもある。ALOHA(アローハー)、愛することは共に幸せである、ということを全身全霊で受けとることができるツアーなのだ。
自分自身が体験した感動と、人生の変化を、ご縁のある方とともに分かち合いたいという思いで、「Uncle Derek’s Spiritual Third Eye Tour」の日本でのコーディネーターになった。聖なる地ハワイに何回も「ただいま」と帰るための自分自身の口実、というのが一番の理由かもしれない。「ご出身はどちら?」と尋ねられたら、「たましいの出身はハワイです。」と答えることにしようと、今は思っている。
